シェア「挑戦的現代アート」

最後の一文が効いた。
「無抵抗でいれば、
そこに付け込む卑怯な奴がいる」。

今の社会(日本は特に)を表した一文だと、
私は感じた。

あなたは何を感じますか?


【挑戦的現代アート】

マリーナ・アブラモヴィッチ(セルビア系アメリカ人・現代美術家)が1974年に発表したRhythm0(リズムゼロ)をご存知ですか。

人間の闇に焦点を当てた作品。

観客参加型でマリーナ・アブラモヴィッチ自身を6時間マネキン人形とし、近くのテーブル上には72個のアイテムが置いてある。

アイテムの中には、花・ワイン・水・ロウソク・はたき・ハサミ・鎖・ベルト・拳銃などがあった。

また「ここにあるものを使い、私に何をしても構いません。ここであったことの全ての出来事の責任は私がとります。」と書かれたものがある。

始め観客は観ているだけだったが、徐々に花を握らせたり、水を飲ませたり、頬にキスをしたりした。

時が経つにつれて、1人の男性がハサミを使い、マリーナ・アブラモヴィッチの着ている服を切り始めた。

そこから観客の行動がエスカレートした。

鎖で繋ぎ、股の下にナイフを突きつける。ナイフでマリーナ・アブラモヴィッチを傷つける。最終的には銃まで突きつけた。

最終的に行き過ぎる行為を止める人が出てきたが、その止めに入った人を批判する人が出てきて、暴動になった。

6時間が過ぎ、マリーナ・アブラモヴィッチが人形を模倣するのをやめ、群衆に向かって歩き始めたら皆怯えて逃げたという。

このパフォーマンスアート後、マリーナ・アブラモヴィッチは「あの時誰一人として私を人間として扱ってくれる人はいなかった」と話したという。

人間は集団になると理性を失い、残酷な事もしてしまう。また、人間は雰囲気・空気に流され、正しい判断が出来なくなる事が露わになった作品だった。

無抵抗でいれば、そこに付け込む卑怯な奴がいる。

↓マリーナ・アブラモヴィッチさん

シェア「冷蔵庫に野菜を入れる」

うちは冷蔵庫がないし
うちには「枯れる」野菜が多い。

「腐る」野菜=肥料使用っていうのは
cotocaやってるときから痛感していた。

内海聡医師の投稿
シェアさせていただきます。


「冷蔵庫に野菜を入れる」

もはや冷蔵庫はどの家庭にもある必要不可欠な家電となりましたが、昔と比べてどんどん巨大化傾向にあります。
冷蔵庫の「野菜室」なんていう名称も一般化しているくらいですから、スーパーで買ってきた野菜はすべてこの野菜室に入れるという人も多いのではないでしょうか?
しかし、保存性や栄養面の両面で見ても、野菜はあまり冷蔵庫に入れないほうがいいのです。

「バイトフォトン」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
欧米ではかなり研究が進んでいる分野ですが、日本ではまだ馴染みのない言葉です。
バイトフォトンとは平たくいえば「光の粒子」で、もともとは30年代の生物学者アレクサンダー・ガーウィン氏が「細胞が光を発する」という仮説をもとに始まった研究です。
すべての生体は光を放ち、光を吸収し、そして光を溜めています。そしてすべての細胞は1秒に少なくとも10万回光を放っているとされ、健康な細胞は持続的に光を放ちますが、不具合のある細胞は断続的に光を発しているそうです。

「なぜ、こんなことを言っているのだろうか?」と思った方も多いでしょう。
実は、冷蔵庫で保管された野菜とそうでない野菜では、フォトンに顕著な違いがあるという研究結果があるのです。
野菜を収穫してから冷蔵庫に入れないで保管をした場合、9日後に細胞が振動しなくなります。
一方、冷蔵庫に保管した場合、たった1日で野菜から振動が消失するという研究結果が出ています。
これは農薬を使用した野菜とそうでない野菜でもフォトンに同じような結果が出ており、フォトンは自身を守るために、生体化学反応が起こるシステムをつくっていると考えられています。

長期保存しなくてはいけないほどの量をそもそも買わないことが大切ですが、食材の特性などを見ると、「吊るす」「新聞紙でくるむ」「冷暗所に置く」など、冷蔵庫で保存しないほうが保つものもいっぱいあります。
ここでも、昔ながらの保存の知恵を大事にしたいものです。

冷蔵庫で野菜を保存した際に「野菜を腐らせた」という経験をしたことのある人もいるでしょう。
よく考えてみてください。植物は「腐る」ものではなく、「枯れる」ものです。
では、なぜ自然界の植物は枯れるのに、スーパーで買ってきた野菜は枯れずに腐るのか?
これは肥料に関係するのです。
化学肥料か有機肥料かにかかわらず、自然栽培で育った野菜は冷蔵庫のなかでも枯れます。
肥料を与えられた野菜は冷蔵のなかでは腐るのです。
特に動物性の糞尿などを使った肥料を使えばより腐りやすく、植物性の場合は枯れやすくなります。

冷蔵庫で野菜をダメにしてしまうほど保存すること自体問題ではあるのですが、冷蔵庫の使用は最小限にとどめ、自然界での様子と同じく枯れていく野菜を選んでいただきたいです。

<あなたを殺す食事生かす食事より抜粋>

だから私は、自分が動いている。

Chihiro Sato-Schuhさんの投稿、
完全同意。

私は基本的に
「政治家」を信じていないし
そもそも
「選挙」自体も信じていない。
だから、私は
マルタ共和国🇲🇹で暮らしたし
今、宮崎県 延岡市で
生きて行く力を付けている。

わが子と自分のために、
「自分」が動く。


【選挙で政治が変わるという幻想】

選挙が終わると、いつものごとく開票が始まったとたんに当確が次々と出始め、投票率の低さが語られ、やはり政権与党が圧勝という結果が出る。やっぱりまた同じだと思いながら、投票に行かなかった人たちが悪いとか、政権与党に投票する人がこんなにいるなんて、だから日本人はバカなんだとか、いつもの話がつぶやかれる。それで結局、これが国民が選んだ結果なのだからと、認めさせられてしまうのだ。

だけど、少なくとも2012年の総選挙からずっと似たり寄ったりの結果で、選挙は一度だって公正に行われてはいなかったのではないかという印象がある。あの選挙のときは、国民の8割が反原発で、反原発派の新政党が支持率を急激に上げていた。選挙会場では、これまで見たこともないような長い行列ができていた。それでもメディアは、投票率の低さを報道し続け、結果は唯一原発推進を掲げていた政党が圧勝した。これはいくらなんでもあり得ないと多くの人が感じたし、選挙で不正が行われたらしい証拠もたくさん出てきていた。ある人はまったく同じ筆跡の票が大量にあるのを見たといい、ある人は出口調査の結果が途中で変わったり、投票者の数が途中から減らされていたのを見たと言っていた。開票のデータのカーブが不自然な上がり下がりを見せていたり、選挙区と比例区で普通あり得ない相違があったり、いろいろ奇妙なことがたくさん目撃されていた。

そうやって不正を示すありとある痕跡が目撃されていたのにもかかわらず、選挙が公正に行われたかどうかについて調査が行われることもなく、選挙が不正だったと訴える人々は、負け惜しみを言っているだけだということにされてしまった。多数決で決まったことを国民の選択として受け入れるのが民主主義なのだから、選挙結果に文句をつけるのは民主主義的ではない、というのだ。選挙が不正に行われたのならば、それこそが民主主義的ではないのだけれど、それについては言ってはいけないかのような印象が作り出されていた。

民主国家なのだから、選挙が公正に行われないわけがない。だから、それを疑うのはおかしいといったような空気が作られていた。テレビや新聞は、選挙結果がおかしいというのは勘違いだとか、投票所が混んでいたのは別の理由からだったとか、そういう情報をせっせと伝えていた。選挙が不正だったなどと疑うのは、妄想にとりつかれた頭のおかしな人間なのだと言わんばかりだった。

私にとっては、2012年の総選挙が、選挙不正というものが現実に行われているのだということを認めさせられた初めての選挙だった。それまでの選挙もまったく公正に行われていたというわけでもなかったのかもしれないけれど、あの選挙で目の前にはっきりと突きつけられてしまったという印象があった。日本が民主国家だというのは、見せかけにすぎなかったのだ。私は日本人であることばかりか地球人であることすら恥ずかしくて、地球から去って行ってしまいたかった。

あれから10年になるけれど、あれ以来私は、実は世界中が不正と腐敗に満ちていることを、少しずつ知っていくことになった。パンデミックが始まってからは、ヨーロッパの政府もすべて製薬会社に買収されていることがはっきりしてしまった。政府どころか与党も野党もすべてが腐敗して、操られていたのだ。2020年のアメリカ大統領選では、どう見てもトランプの方が優勢に思えたけれど、開票終了直前になって、バイデン票が普通あり得ない奇妙な増え方をして、バイデン当選が決まってしまった。

このときの選挙でも、不正を示す証拠が多々出てきていた。夜中に裏口から投票箱が搬入されるのを監視カメラが捉えていたり、同じ投票用紙を何度も開票機にかけていることを示す映像が出てきたりした。集計コンピューターはインターネットに繋がっていて、どこからでも操作できる状態だったことも確かめられた。

「2000のラバ」というドキュメンタリー映画が公開され、「ラバ」と隠語で呼ばれる票の運び屋たちが、一人で何通もの投票用紙を投函していたことが示された。街のあちこちに設けられた投票箱はヴィデオカメラで24時間監視されていたのだけれど、そこには一人で何通もの封筒を投函する人の姿がたくさん映っていた。もちろん、家族の代理人として投票用紙を投函することは許可されているのだけれど、この「ラバ」たちは一日に何ヶ所もの投票箱をまわって、一ヶ所につき2通とか3通とかの封筒を投函していたことがわかった。

アメリカ大統領選では、異例にも選挙不正の訴えが起こされたのだけれど、メディアは選挙結果に文句をつけるなどあるまじきことだと、轟々の非難だった。選挙で不正が行われているとしたら、そちらの方があるまじきことなはずなのに、そうしたことは言われなかった。だけど、パンデミックの報道で、主流メディアはすべて買収されていることがもうわかっていたから、これもさもありなんといった気分だった。

するとフランス大統領選でも、同様なことが起こった。パンデミック対策にロシアへの経済制裁ときて、現大統領の評判は地に堕ち、反グローバル主義者のルペンが優勢だと見えていた。それなのに、やはり開票終了直前にマクロンの票が奇妙な上がり方をして、ぎりぎりでルペンを抜き、当選が決まった。同じことはアメリカ大統領選でも見ていたから、何が起きたのかは想像できる。グローバリストたちが開票データを操作して、反グローバル主義者がフランスの政権を取らないようにしたのに違いなかった。

今回の参院選では、選挙の二日前に政権与党の元首相が銃撃されるという事件が起こり、選挙前日には主流メディアが一日中元首相の功績を讃え、遺志を継ぐべきだというような話が語られていた。数多くの悪政が非難された人物でもあったのだけれど、亡くなった人なのだからと、責任を問う発言もなく、ただ偉大な政治家であったという話ばかりが一日続いていた。その様子を見ていて、これは同情票が集まったとして、政権与党を圧勝させる計画なのだろうと思っていたら、案の定その通りの結果が発表された。

選挙期間中には、選挙で国が変わるのではないかという期待が高まる。そして、選挙にいくべきだとか、誰に投票すべきなのか、とかそういう話がしきりと交わされる。どこの党が支持率が高いとか、議席を増やしそうだとかいうことが語られる。だけど、結果はいつも同じなのだ。たとえ街頭演説にほとんど人が集まっていなかったとしても、いつも政権与党が圧勝することになっている。

そして、選挙が終わったら、これも国民が選んだのだからしかたがない、と言うのだ。すべては国民がバカだからなのだと。

こうしたことを見ていくと、選挙というのは、政府を選んでいるのは国民なのだという幻想を作り出すためのイベントにすぎないのじゃないかと思えてくる。本当には、政府を選んでいるのは、裏で選挙を操作している人たちであり、メディアや政治家に資金を出しているグローバル金融エリートたちだ。それをあたかも民主的に決められているように見せかけるために、選挙をやり、投票することで政治に参加しているという感覚を与えている。そして、その結果を人々が自分たちの選択だと思い込み、自分たちを責めるようにだ。

二年半前からのパンデミックを通して、世界の政治の仕組みが本当にはどうなっているのかが、透けて見えてしまったようなところがある。民主的なシステムが機能しているというのは幻想に過ぎなくて、実は裏でグローバル金融エリートのお金ですべては操られていたということが、わかってしまった。パンデミックが始まった頃には、まさかそんなことがと思っていた人たちも、政府のやり方があまりにおかしいので、あれこれ調べているうちに、そうした構造があるのを認めないわけにはいかなくなってしまった。

そうした中で、世界各国で抗議活動をしているグループが、政治的にも活動しようと政党を立ち上げたのだけれど、こうした多くの政党に共通しているのは、選挙結果をあまり重要視していないということだ。

候補者を立てて、選挙運動をして、議席を獲得し、とやっていても、結局のところ議会で多数決で押し切られるのだから、政治を変えるような力にはならない。ただ選挙活動をすることで、政治に参加したような幻想を作り出すだけのことだ。

そうしたことよりも、むしろ人々に必要な情報を伝えたり、身を守るために法的に何ができるかとか、どこで相談が受けられるのかとか、そういうことを伝えたり、抗議活動を組織したり、そういうセンターとして機能させようとしているところがある。つまり、草の根的に活動する組織としてだ。

たとえば地域の学校である問題があるというとき、多くの人はどこそこの役所に行って訴えるとか、政治家にかけあって動いてもらえるように頼むとか、そういう解決策を考えるのだけれど、それはDS的なやり方だ、とサイモン・パークスが言っていたことがあった。そこで、DS的なやり方、という表現を使っていたのが、私には印象的だった。

彼はそんなやり方ではなくて、その学校に行って、校長と話し、やり方を変えてもらうように言って、それから地域の受け皿を作って、というようなやり方を自分ならするだろうと言っていた。それがつまり、DS的でないやり方だということなのだ。

DSというのは、つまり世界中の政府を裏で操っている組織なのだけれど、彼らは人々が役所だとか政治家だとか、そういう政府機関を通して行動を起こすように仕向けたいのだ。それならば、彼らが操作することができるからだ。選挙に勝って、議員を送り、それがある程度の多数にならなければ、政治を変えることができない、と人々が思い込んでいるかぎり、彼らは人々を自在に操ることができる。

何度となく同じことを経験して、もういい加減に私たちは選挙で政治を変えられると思うのをやめるべきなのではないかと私は思っている。選挙に勝たなければ政治を変えられないと思うのをやめて、政府に頼らないでできることをどんどんやっていくようにしたらいいのじゃないかと思う。政治に参加するとは、選挙に行くことではない。そうではなくて、自分たちが住む社会が、自分たちの力でできているということを意識して、独自に動いていくことじゃないかと思う。

私はこの選挙が、そうした意識の転換になったのではないかと思っている。政府が変わらなければ、世の中は変わらないと思うのをもうやめて、この世の中を自分たちの手に取り戻すこと。そうなってこそ、本当に世の中は変わっていくと思うし、そうなったら政府がどうであれ、私たちはそれに支配されないで生きていくことができるんじゃないかと思う。世の中は、選挙とかクーデタとか革命とかで変わるのではなく、本当はそんな風にして変わっていくのじゃないかと思う。

**
画像は、熊野のおながみの森の磐座。ルートチャクラのポイント。

第26回参議院議員通常選挙

私は基本的に
「政治家」を信じていないし
そもそも
「選挙」自体を信じていないけど、
判断材料として一応見て考える。

参院選2022の各党公約を一覧で比較!政策・マニフェストから投票先を選ぼう|第26回参議院選挙 政党公約比較表

シェア「アベさんに対する銃撃について思うこと。 小出裕章」

完全同意ではないけれど、ほぼほぼ同意。
今、全文を読むべきだと私は思う。
そして自分で考えるべきだと私は思う。
シェアさせていただきます。


小出裕章氏曰く

アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。…. 彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。….. 小出 裕章

Koide Blue / アベさんの死

アベさんが銃撃を受けて死んだ。

悲しくはない。

アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。

アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。

彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。

 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。

朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。

彼は息をするかのように嘘をついた。

森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク…

彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。

それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。

その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。

私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。

 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。

アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。

悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。

 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。

すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。

歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。

そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。

 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。

民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。

国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。

原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。

日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。

もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。

その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。

それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。

もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。

どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。

さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。

 愚かな国民には愚かな政府。

それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。

しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。

今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。

でも、何度も言うが、はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。

心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。

さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などが今まで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。

2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章

描き イコマ レイコ

シェア「夢みちゃいけない学校」

すばらしくわかりやすい。
すばらしい内容。
さすがオオタ・ヴィン監督です。

シェアさせていただきます。

現憲法は「主権者である国民」が
政府に「平和を守るように」命じています。(99条)

平和を命じているのは私たち「国民」

命令されているのが「政府」です。

ねっ、画期的でしょ。

「与党大勝→ 改憲改悪→
戦争できる国家」

この平和憲法が消えてしまったら、
公立学校の「国家主義教育」は
今よりさらに加速します。
(今でもひどいけど)https://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/

「夢みちゃいけない学校」

平和憲法は
「子どもを守る防波堤」です。

明日の一票は
わたしたちの「弾丸」なのです。

【HPトップに載せ続けてるけど… 改めて!】

cootocaは2018年
「子と家」「子とカフェ」
として
改田昌寛(かいだあきひろ)
改田友子(カイダトモコ)
夫妻と
当時3歳の娘で始めました。

赤ちゃんや小さい子…
こども達が
誰にも(親にも)
邪魔されずに
*自分そのままで居られる場所
*自分が持つ力を
最大限伸ばせる場所

一番に
それを提供したくて始めました。

親や社会の既存の概念
「当たり前」。

それって “誰の” 当たり前?
目の前の「この子」は
ほんとにそれを望んでる?
目の前の「この子」に
当てはまるもの?

「この子」を
尊重したい。

「この子」の
本能が望むように、
そのままの
「この子」を
伸ばしていけたら。

小さなこどもたちは
自分たちの意思だけでは
なかなかそれが成し遂げづらい。
だからそういう環境を作った。
それがcotocaです。

※私(おかあ)自身、
こどもの「私」
そのものよりも
「目に見えない何か」
を大切にする親に
苦しみ違和感を抱いていた。
こどもたちにそれを手渡したくない。
それも大きな理由の一つです


たくさん学んで知った、
食とからだのこと。
それらを活かした
お食事・お飲み物・お菓子など
手作りで用意して。


たくさん学んで揃えた
”意味のあるおもちゃ”
を用意して。


たくさん足を運んで出会った
”良質の学び”
を提供してくれる
方々の力を借りて。



 

私たち改田夫妻が
小さな娘の子育てを通して
知ったことを
他の親たちにも知って欲しいから
そしてもっともっと
自分たち自身が知りたいから
家を「共有」しました。
子育てに使う場所として。

そして本来やりたかった形、
「家」である空間を共有して
子育てを共有する
社会を共有する
大人が社会貢献し合う
それらを
シェアハウスとして
実現させました。


2021年
私たちはお店から卒業しましたが、
cotocaをやる中で出会えた
本当に素晴らしい方々が
その想いを引き継いで
今も「家」を
共有して下さっています。

こどもたち
お客様
先生方
生産者の方々
地域の方々…
私たち夫婦は
たくさんの方達と
出会い、学び、考え、
さまざまな事を提供し
さまざまな事を発信してきました。

私たち自身が
小さな娘の子育てをしながら
家(お店)を共有して行き
成長していく日々、
見えるものごとが
提供したいことが
どんどん向上し
どんどん増えて行きました。

↓やってきたことの一例↓
*わらしべBOX(物々交換)
*cotocaだより発行(お手製の新聞)
*こどもが自分でつくる体験メニュー
*畑のおやさいカード
*赤ちゃん見守り0円サービス
*無農薬野菜の量り売り
*ゼロウェイスト梱包
*コロナ禍自転車配達
*乾物メニューの導入(防災備蓄)
 *区長と語る会に参加
*参議院議員会館での給食改革の学び
*地域団体との繋がりを活かした
あだち区民祭り出店計画(食の啓発)

など

それらを理解し共有してきた
大切な仲間の方々、
素晴らしいご縁で繋がった方、
かつてはお客さまだった方、
この動きを知り
自ら飛び込んで来て下さった方が
家をシェアして
稼働させてくださってます。


そうなんです。
今の
こそだてシェアハウスcotoca

パワーアップしています。

専門知識&技術を持った
なにより
こどもに
食に
社会に
熱い想いの方々が揃ってる。

ぜひ一度
本店に足を運んでみてくださいね。

小2娘と古事記

  

最近、小2娘が
「古事記」「日本神話」
にハマっている。
読んで、読んでは、描いて。📕🎨
日々すごく夢中な様子を見て
せっかく宮崎県に住んでるんだから、と
今日は久しぶりに家族で
天孫降臨の地、高千穂まで
足を伸ばした。

天岩戸神社
天安河原
国見ヶ丘 高千穂町と巡って🛺
途中、お土産屋さんで
【あなたによく似た神様を探せます】
っていうのがあって、
店員さんにみてもらった。
(←こういうのホント大好き改田家🤣)

結果。
娘:伊邪那美命(イザナミ)
おとう:邇邇芸命(ニニギ)
次々と、花形な柱✨
(※イザナミ→
国生み・イヴ的存在・黄泉津大神)
(※ニニギ→
天照大御神=アマテラスオオミカミの
孫で天孫降臨の主役)

さておかあは…
って期待に胸膨らませ、待つ。
店員さんが一言。
「アメノウズメさん(天宇受売命)ですね!」。

えー❗️❗️❗️

アメノウズメといえば
すっぽんぽん踊り。
天岩戸に隠れたアマテラスを外に出させ、
再び世界を太陽で照らすことに
成功させた張本人とはいえ、
すっぽんぽん踊り。
(↑私の中では😅)

なんか私だけお笑いキャラじゃない❓
その役回り、いつもは
おとうの立ち位置じゃない❓❓
すっぽんぽんで踊るって
おかあっぽくなくない❓❓❓

納得いかず、燻るおかあ。
「芸能の神様ですよ!」
「一般的に
すっぽんぽんのイメージはないですよ!」
一生懸命フォローする店員さん。
(なんかすみません…😅)

小2娘にまでフォローされ(どんだけ😅)
「芸能の神様だもんね!」
「おかあ、花開くんだね!🌸」
自らを奮い立たせる私。笑笑

「かえったらゆいのいめーじで
かいてあげる!」
「それみればおかあ、ヤじゃないよ!」

そんなこんなで出来上がったのがこの作品。

…確かに、悪い気はしない…

やっぱりおっぱいは丸出しだけど。
(男の人と女の人で反応が違うのがさすが👧👩‍🎨)
(ものの4-5分で描き上げたのもさすが👧👩‍🎨)

ともあれ、今日もまた
面白い一日になりましたとさ。

*改田家の想いと本店の歴史
https://cotoca-senju.jp/past_about/

*宇宙人おかあのちきゅうえにっき
(無料会員さま入口)
https://cotoca-senju.jp/special/
#宮崎 #延岡 #別館
#cotoca #コトカ #改田
#トゥクトゥク #TukTuk
#コットくん #トッカちゃん
#地球体験  #ノーモア洗脳教育

シェア「北浦小児童が田んぼの草取りに挑戦」

私たちが今暮らしている
宮崎県延岡市の北浦小学校では
小学5・6年生が田んぼ体験をしています。

自分たちが手掛けたお米を
自分たちの給食で食べるまで。

企画・各所への働き掛け、
土地や苗や水の手配・準備ほか
実現に向けて全て行ってくださった
松原 農園さんには
感謝と尊敬しかありません。

こどもたちに素晴らしいまなびを
ありがとうございます!!!

日向経済新聞

北浦小児童が田んぼの草取りに挑戦 地元農園が田んぼを提供

ガラガラと呼ばれる伝統的な草押し機を使う北浦小の5年生

ガラガラと呼ばれる伝統的な草押し機を使う北浦小の5年生

 延岡の北浦小学校5年生が7月6日、古江神社(北浦町古江)前の田んぼで草取り体験を行った。

草取りの説明をする松原学さん(左端)と北浦小学校5年の児童たち

 田んぼを提供したのは、「まなぶ農園」(北浦町市振、TEL 0982-45-2356)を営む松原学さん。2週前の田植えから2回目の体験学習で、この日は児童たちが「ガラガラ」と呼ばれる昔ながらの草押し機や、松原さんが自作した除草機を使って、「コナギ」という雑草を取り除いた。

 松原さんは10年前に福岡から延岡に帰郷した時から、地元の子どもたちと一緒に米作りに取り組みたいと考えていた。5年前から北浦小学校の校長や農業協同組合、市の教育委員会に声をかけ、3年前から計画していたが、コロナ禍で延期となっていた。

 松原さんは「昨年から実施することができて、うれしい。児童たちには米作りを楽しんでほしい」と話す。

 草取りを体験した北浦小学校5年生の高平夏蓬奈さんは「初めて田んぼに入った。最初は土がぬるぬるして気持ち悪かったが、体験しているうちに慣れてきた。ガラガラは重かったが、松原さんに使い方を教えてもらい、コツをつかんだらやりやすかった。次回も楽しみにしている」と話す。

 今後は、7月25日に草取り、8月半に稲穂見学、9月から10月に稲刈り、脱穀、11月には羽釜と薪を学校に持ち込み、取れたての新米の試食を予定している。

投稿に頂いたコメント

Sさん:
義務教育課程の必須項目ですよ‼️
いいなぁーー

おかあ:
ですよね!
自分で、自国で食べるものをつくる方法を、
未来を生きて行くこどもたちに
伝えないでどうするんだって思います。

簡単にはいかない実情も
多々あるのはわかります。
でもやれば出来る。
本気でやろうとしないから出来ない。
ただそれだけなんですよね。

人の死さえ…

ウイルス報道
戦争報道
食料危機報道と同じ。
情報=誘導≠事実。
利用出来るものは何でも使う。

緊急事態条項発令や改憲に
繋がらないと良いのですが。

【別館】
別館cotoca
〒889-0302
宮崎県延岡市北浦町市振1108

【公式】別館cotoca

【本店】
こそだてシェアハウスcotoca
〒120-0034
東京都足立区千住2-18
03-6320-2736

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