改田家の想いとcotoca -本店の歴史-

cootocaは2018年
「子と家」「子とカフェ」
として
改田昌寛(かいだあきひろ)
改田友子(カイダトモコ)
夫妻と
当時3歳ので始めました。

娘がわが家に来て、
たくさんのことを学んだからです。
娘はとても大切なことに
気付かせてくれたからです。

そして

赤ちゃんや小さい子…
こどもたちが
誰にも(親にも)
邪魔されずに
*自分そのままで居られる場所
*自分が持つ力を
最大限伸ばせる場所

一番に
それを提供したい
する必要があると感じ
cotocaを始めました。

親や社会の既存の概念
「当たり前」。

それって “誰の” 当たり前?
目の前の「この子」は
ほんとにそれを望んでる?
目の前の「この子」に
当てはまるもの?

「この子」を
尊重したい。
「この子」の
本能が望むように、
そのままの
「この子」を
伸ばしていけたら。

小さなこどもたちは
自分たちの意思だけでは
なかなかそれが成し遂げづらい。
だからそういう環境を作った。
それがcotocaでした。

※私(おかあ)自身、
こどもの「私」
そのものよりも
「目に見えない何か」
を大切にする親に
苦しみ違和感を抱いていた。
こどもたちにそれを手渡したくない。
それも大きな理由の一つです


たくさん学んで知った、
食とからだのこと。
それらを活かした
お食事・お飲み物・お菓子など
手作りで用意して。


たくさん学んで揃えた
”意味のあるおもちゃ”
を用意して。


たくさん足を運んで出会った
”良質の学び”
を提供してくれる
方々の力を借りて。



 

私たち改田夫妻が
小さな娘の子育てを通して
知ったことを
他の親たちにも知って欲しいから
そしてもっともっと
自分たち自身が知りたいから
家を「共有」しました。
子育てに使う場所として。

そして本来やりたかった形、
「家」である空間を共有して
子育てを共有する
社会を共有する
大人が社会貢献し合う
それらを
シェアハウスとして
実現させました。


2021年
私たちはお店から卒業しましたが、
cotocaをやる中で出会えた
本当に素晴らしい方々が
その想いを引き継いで
今も「家」を
共有して下さっています。

こどもたち
お客様
先生方
生産者の方々
地域の方々…
私たち夫婦は
たくさんの方達と
出会い、学び、考え、
さまざまな事を提供し
さまざまな事を発信してきました。

私たち自身が
小さな娘の子育てをしながら
家(お店)を共有して行き
成長していく日々、
見えるものごとが
提供したいことが
どんどん向上し
どんどん増えて行きました。

↓やってきたことの一例↓

*わらしべBOX(物々交換)
*cotocaだより発行(お手製の新聞)
*こどもが自分でつくる体験メニュー
*畑のおやさいカード
*赤ちゃん見守り0円サービス
*無農薬野菜の量り売り
*ゼロウェイスト梱包
*コロナ禍自転車配達
*乾物メニューの導入(防災備蓄)
*区長と語る会に参加
*参議院議員会館での給食改革の学び
*地域団体との繋がりを活かした
あだち区民祭り出店計画(食の啓発)

など

それらを理解し共有してきた
大切な仲間の方々、
素晴らしいご縁で繋がった方、
かつてはお客さまだった方、
この動きを知り
自ら飛び込んで来て下さった方が
家をシェアして
稼働させてくださってます。

ぜひ一度
本店に足を運んでみてくださいね。

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元cotocaのおかあ

元cotocaのおかあ
元cotocaのおかあ
【トビラアケマス】
タビスルオヤコ✈️⛴🛺
じぶんおやこ手帖📖
こども通訳士
聴くこと、繋げること、創ることが得意です。▶︎詳細はリンク🌐💻📱

「わたし」を過ごせず大きくなったわたし。
【こどもたちに引き継がせない】。
わたしがこどもの時からずっと持ち続けた想いをカタチにしたのが「このお店」でした。
そんなお店を手離し、海外に移住🇲🇹→宮崎移住🌴
現在はトーキョー🗼で8歳娘と遊びと経験だけのホームスクーリングな毎日を選択している、母であるわたしです。

今ならわかります。全ては生まれる前、「わたし」が決めて来たこと。地球での毎日は「点」をひろい「線」を形創る作業だということ。
そんな「わたし」の点と線が、誰かの「点」と繋がりますように。今も祈っています。